このブログと「ゲーム・レジスタンス」と俺の話
とりあえず反逆せよ
俺の愛するゲームコラム、「ゲーム・レジスタンス」はなんとなく、とりあえずの反逆から始まった。
「ゲーム・レジスタンス」は1998年9月に創刊された「ナイスゲームズ」誌にて連載され、後に後継誌「ユーゲー」「ゲームサイド」でも連載されるほどの看板コラムである。
そして後に、連載がその幕を閉じ、しばらくの時間が経った後「ゲーム・レジスタンス」は複雑な経緯を持って単行本化された。
俺と「ゲーム・レジスタンス」との出会いは単行本からだった。
「ゲーム・レジスタンス」って名前の語感だけでなんとなく買ったわけだが、読んでみて、なんとなく買った自分を褒めた。久しく見なかったちゃんとしたゲームコラムがそこにあった。ここ数年の大手ゲーム雑誌はライターの我が出る熱のこもったコラムを書かせてなかったような気がする。コラムが金にならなくなったのか。面白いコラムを書ける人間がいないのか。そもそもゲーム雑誌には熱を含んだコラムは不要と判断されたのか。
気が付けば、中学生の頃から小遣い貯めて買ってたゲーム雑誌類はいつの間にか買わなくなってた。最後まで買ってたのは、電撃プレイステーションくらいだ。ぶっちゃけ付録の四コマが目当てだったが。とは言ってもちゃんと雑誌本体にも目は通していたけど。
しかし買わない日が出てきてパタリと買うのをやめてしまった。
なんとなくゲーム心が下火になるのを感じながら、街をぶらついて、目についた書店に入り、ゲームのムックでも買うかな~なんてコーナーに向かい、そして「ゲーム・レジスタンス」に出会った訳だ。帰って読むわけだが、最初は踏ん反り返ってスナック感覚で読んだ。読み終わり、今度は姿勢を正して真面目に読んだ。また読み終わると、自分の好きなゲームの記事を読み返した。別に有難がって読んでたわけじゃない。その記事に、その文体に惹かれて、また読み返してしまう。それはすごい事だ。俺の短い人生、それでもゲームに彩られた人生で、なかなか無い出来事だった。どんなものでも有難がって遊んだり読んだりしたのは、高校生の時までだ。疾っくの疾うに大人だった俺は、自分でも嫌気が差すがダウナー気味に、斜に構えてゲームを遊ぶようになっていた。
そんな俺が、それこそ子供みたいにワクワクしながらページをめくっていた。「ゲーム・レジスタンス」は枯れたはずの子供心に火をつけるそんなコラムだった。
たまに兄弟に言われることがある。「お前は昔の方がゲーマーやってたよ」
なにせ当時のブームが、ゲームのバグ探しだったんだから、確かにゲーマーっぽい。
それは俺が小学生の時まで遡ってる。
小学生の頃は本当に気が狂ってたと思う。ニンテンドー64を引っ張り出して、みんなで集まってやるゲームは、大体スマブラかゴールデンアイと相場は決まっていたが、俺達はなぜかガントレット・レジェンドに夢中だった。小学生だけで良く隠しキャラ解放、ラスボス討伐までやったものである。
そして我が家にはニンテンドーゲームキューブもあった。
ゲームキューブをやって飽きたら64をやるといった流れが形成されていた。
そしてバグ探しの現場は常にゲームキューブだった。基本的なバグとして、壁抜けしてマップ移動できるか、どうしたら処理落ちするのか、いわゆる裏世界にはどうしたら行けるのか。そんな遊び方を追求した小学生達だった。クラッシュしないように子供ながら気を付けていた記憶がある。
バカな子供だと思うが、ゲーマーとしての全盛期は間違いなくこの頃だった。
「ゲーム・レジスタンス」連載第一回目の文中にこんなことが書かれている。
最近、ゲームに対してナナメなスタンスの奴が多すぎる気がしないか? ライトユーザーの名を騙り、大企業の宣伝するゲームだけを手にする自分がセンスいいと思っている奴。また逆に、マニアックなタイトルやプレミアがつくようなレトロゲームを持ち出しては、自分は違いのわかる人間だと言い張る奴。…違うだろうがっ!ゲームというのはもっと純粋なものじゃなかったのか?プレイすることが楽しい。それが全てではないのか!
小学生の頃はゲームをプレイすることがただ楽しかった。
そんな感覚は成長するにつれて薄れはじめ、ゲーム企業やハードの事が分かってくると有名所のゲームしかやらなくなり、友人間でヘタな批評を始めるのがお決まりになっていた。
そしてゲームに対してナナメなスタンスのままで、ここまで成長してしまった。
自分でもゲームを本当は楽しめてないかもしれないと、ふと考える時があったが、それでも惰性で続けてしまうぐらいには、心を捕らえられていた。
「ゲーム・レジスタンス」はそんな俺を啓蒙した。ゲームはただ楽しくそれは今も昔も変わらないのだと。
この第一回目の記事が、今からおよそ19年前の記事というのだから、ゲーマーという人種は良くも悪くもなにも変わっていない事に奇妙な安心を覚えた。
そしてこの第一回目の記事はこんな宣言もしちゃっている。
というわけで、そんな曲がった世の中に反抗すべく、増ページの隙を狙ってレジスタンスを結成させていただいた。やはり人間、反抗しないと駄目になる。(特に根拠はないが)。ゲーマーどもをイカしたナイスなタフガイへと作り変え、すべてのイカれゲームを解放するその日まで戦い続けるのだ!
上の引用を見た時、なんだ説教くせえと思う方がいるかも知れないが「ゲーム・レジスタンス」は、その場のノリと勢いが強いコラムなので、上の引用も実際はその場のノリで言ってるだけなので安心するように。
しかし、俺の心をゲームの道に引きずり戻した「ゲーム・レジスタンス」だが、これを買い、読んで、感銘を受けて、そして俺は絶望した。
なぜか?
「ゲーム・レジスタンス」の帯にはこう表記されていた。
「ユーズド・ゲームズ」「ナイスゲームズ」「ユーゲー」「ゲームサイド」etc
30年の生涯を駆け抜けた孤高のゲームライター・原田勝彦の遺稿集
コラムの著者である原田勝彦氏は、2008年9月4日、交通事故で既に亡くなっている。
調べれば、この方はゲーモクという名前でネット上でも活動していたらしく、そのログはほとんど残されていないが、ネット上の知名度があったことを窺い知れる。
この「ゲーム・レジスタンス」は原田氏が亡くなられて6年後に出版された。
それまで俺は、「ゲーム・レジスタンス」の事をなにも知らなかったし、原田氏の事も知らなかった。だから本を手にとった時も遺稿集とは目に着いたが気にする事はなかった。だがこの本を読み終わった後、この人をもっと知りたくなった。なんでもっと早くに知らなかったんだろうと、そこでゲーマーとして後悔した。
今現在、面白いゲームがあるぜ!と名作新作旧作問わず教えてくれる媒体は、俺の主観だがほぼなくなったように感じる。そんなもの自分で探せと説教が飛んでくるかも知れないが、人のおすすめを見たり聞いたりして始めるゲームは一味違った楽しみ方で遊べる。そんな楽しみ方が好きなのだ。
だから俺はこのブログを始めた。
「イカれゲーマー解放戦線」
この名前も「ゲーム・レジスタンス」裏表紙から勝手にいただいた。
「ゲーム・レジスタンス」から感銘を受けた、下っ端のレジスタンスとして。
すべてのイカれゲーマーを解放するその日まで戦い続けるのだ!